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今回、まったく同じ表情パラメータで撮ってみた。 テクスチャは、まゆげとアイシャドウの内側と白目と唇とシェーディングが共通。あと、カラダと髪。他はカンペキに描き分けていたりする。ムダに。 パラメータをイジるだけでも印象はだいぶ変わるけれど、何よりも表情の設定が最重要。だと思う。 ところでさ、表情筋。という名称が誤解を招く気がするんだよね。表情は、結果として見えるカタチに過ぎない。その本質は、顔を機能させるコト。目を動かしたり、口を動かしたり。五感のほぼすべてが顔に集中しているのだから、機能させるコトが最重要。 ヒトの審美眼ってさ、機能を視ていると思うんだよね。黄金比とかいうのも、造形のバランスというよりも、機能しやすさのバランス。ではないかな。と。 好みというのは、機能の何を優先しているのか、というコトだったり。 この私の持論は、純粋な造形美など存在し得ない。というコト。何かしらの機能を予期しているからこそ、整って見えたりするのであり、逆もまた然り。だと思う。 そして、自分自身を活かす、というのは、まんべんなく機能させる、というコトだよ。顔もカラダもね。それこそが生き物としての本懐であり、目指すべき自由。自在。なんじゃないかな。と思う。 ココロなんてないよ。ソレは、あくまで自分を自身だと認識している「状態」のイメージに過ぎない。と思う。他人のソレも、似たような投影。ただのイメージ。 この私は、唯物論者である。たぶん。 何の話だったっけ。まぁいいや。
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