忍者装束シリーズ 伊賀衆忍装束
忍と呼ばれる前の時代は乱破、素破、草、など様々な異名で呼ばれていたそうです。
歴史は古く農民は仮の姿であり悪党と呼ばれた荘園時代を経て鎌倉時代以後は衆を名乗り多くの戦に参加しました。
いわゆる傭兵の様な戦闘集団で戦国時代には主の命で国々を渡り敵や味方を問わず情報収集をする間者(間諜)スパイとして暗躍しました。
服装は農民の野良着と同じで伊賀衆は藍色、甲賀(こうか)衆は柿渋色に生地を染めていたそうです。
鉄分を含む水で洗濯をする事で更に暗色に染まり、それが現代の様な黒い色の生地が定着してしまったらしいですね。
本来黒色は実在しなかったことから衣装作りには伊賀衆の藍色に甲賀衆の柿渋色で制作する事にしました。
草鞋含め暗い色に統一しました。
伊賀衆の装備は軽量とし布と革製の手甲、脚絆、内着には鎖帷子、平頭巾としました。表面のテクスチャには私物の服の布から模様を取り込みました( ´∀` )
甲賀衆の装束は君主等に仕えていたので装備は伊賀よりも良く重装の予定。